子育てを終えた今、
ようやく言葉にできることがあります。
「一人娘は、私のものではありませんでした。」
いえ、もちろん、たった一人の大切な娘です。
20代から7年近い不妊治療を経て…
ようやく授かった命でした。
生まれた時、家族みんなが喜びました。
夫も、同居していた義父母も、それはもう踊らんばかりの大歓迎。
その愛情はありがたかった。
けれど、
産後の私はどこかで少し怯えていたのです。
この子をめぐって、
見えない「取り合い合戦」が始まっているのではないかと。
もちろん、誰も悪気はありません。
みんな「愛している」だけです。
でも、愛情が強いほど、時にそれが「所有」に近づいてしまうことがある。
そして一番その危うさを持っていたのは、
母である私自身だったのかもしれません。
だから私は、ミルクをあげながら
ある夜中、
心の中に大きな付箋を貼ったのです。
それは
この子は、私のものではない。
未来からの預かりものなのだ。
だから私はあくまでもサポーター役に徹しよう
子育て中、ずっとその付箋を心に貼ってきました。
そしてもうひとつ、
私には考え続けてきたことがあります。
娘は、創業75年の家業を営むこの家に、一人娘として生まれました。
私は嫁として、そして母として、
どこかでいつも思っていました。
この子は将来、何らかの形で
「事業継承」というものを考える立場になる。
だからこそ、
私の寂しさを埋めるためだけの存在にしてはいけない。
家族の期待だけを背負わせる存在にしてもいけない。
「いい娘」
「かわいい娘」
「家のための娘」という枠に、
押し込めてもいけない。
この子には、この子の人生があるのだから
そう思うたびに、私はいつも心の付箋を貼り直していました。
この子は未来からの預かりもの。
私は、社会へ送り出すためのサポーター役。
そう考えると、私にとって子育ては単なる「育児」という言葉では収まりきらないものでした。
一つの命をお腹の中で育て、
産み落とし、
ミルクを飲ませ、
オムツを替え、
熱を出せば夜中に起き、
学校へ送り出し、
友人関係にハラハラし、
進路に悩み、
反抗期に少し傷つき、
でも黙って見守る。
やがて家を出て、
現在社会人2年目として自分の足で歩き出すまで。
それは、23年にわたる壮大なプロジェクトでした。
しかも、最終目標は「私のそばに置くこと」ではありません。
むしろ逆です。
ちゃんと離れていけること。
ちゃんと自分の世界を持てること。
ちゃんと私の知らない場所で、
私の知らない顔を持って生きていけること。
それが、このプロジェクトのゴールだったのだと思います。
とはいえ、そんなにかっこよく割り切れていたわけではありません。
私にも、母としての独占欲はありました。
もっと甘えてほしいと思ったこともあります。
もっと私だけに相談してほしいと思ったこともあります。
でも、娘は私の理想通りの
「べったり甘えん坊の娘」にはなりませんでした(笑)
ある時、娘に言われたことがあります。
「お母さんは、母って感じがしないなぁ。
お姉さんっていうか…
同志、って感じ」
正直、ちょっと寂しかったです。
母なのに、母っぽくないのか。
ということは
私はちゃんと母をやれていなかったのか…?
そんなふうに戸惑ったこともありました。
でも今は、少し違う受け止め方をしています。
もしかするとそれは、私がずっと「取り合い合戦」を避けようとしてきた結果なのかもしれない。
娘を自分のものにしないように、
少し距離を置いて見守ってきた結果なのかもしれない。
そして…
それでよかったのかもしれない。
母娘なのに、同志。
親子なのに、少し横並び。
それはそれで、私たちらしい形だったのだと思います。
そして最近、社会人になった娘と久しぶりに二人だけで出かけた日。
ふと、私が不安をこぼしました。
もし
夫や家業という大きな支えが、この世から急になくなることがあったら。
もし私が、今のような肩書きも名刺もないまま一人っきりになったら。
自分はいったい何者なんだろう、と。
すると娘は、さらりと言ったのです。
「万が一、お父さんや会社がこの世から一気になくなったとしても、
お母さんがスッテンテンになっちゃってもさ(笑)、もう大丈夫。
だって、働いている私が、お母さんをなんとかできるんだからさ」
その瞬間、
あぁ、
私はこの子をずっと23年間「守ってきた」つもりだったけれど、
もう、私を守ってくれる人にもなっていたんだ、と。
23年かけて、未来へ送り出したつもりの娘から、
今度は私が、大きな現実の贈り物をもらった気がしたのです。
娘は今、社会人2年目として
離れた街で生きています。
私の知らない場所で、
私の知らない顔を持ち、
私の知らない人たちと関わりながら、自分の人生を進めています。
寂しさがないと言えば嘘になります。
でも、それ以上に思うのです。
これでちゃんと未来へ返せたのかもしれない、と。
7年待って、ようやく授かった命。
同居家族みんなで愛した命。
家業の未来とも、どこかでつながっているかもしれない命。
でも、やっぱり娘は誰のものでもありませんでした。
私のものでも、
夫のものでも、
祖父母のものでも、
家業のものでもない。
娘は娘自身のもの。
そして私は、その人生が始まるまでの22年間、ほんの少しだけ伴走させてもらったサポーターだったのだと思います。
今もまだ、心の付箋は貼ったままです。
娘は、未来からの預かりもの。
私は、これからも少し離れたところから応援するサポーター役。
そう思うと、子育てを終えた今の寂しさも、少しだけ誇らしさに変わる気がしています。



私も娘がいて、母としての気持ちが分かります。子供に対しての気持ち、
なんか触れてはいけない気がしてたのですが、残そうと思えました。
ありがとうございます😊
私もな、2度の流産を経験してからの出産やってん。
せやから、妊活7年は辛かったやろうと、お察し致します。
私は子どもって「授かりもの」やと思うし、ほんまに宝物やと思ってる。
子どもはな、私の人生の中で、最高の瞬間をいっぱい教えてくれたんよ。
出産って、女性にしか経験できへん特別なことやと思う。
子どもが私を「お母さん」にしてくれたんやなぁって、今でも思うねん。
子育ては、そら悩むこともあるで。
腹立つこともあるし、思い通りにならんこともいっぱいある🤣
だからキャンディさんの悩みも、よくわかるわ。
それでもな、振り返ってみたら、やっぱり最高の出来事やったと思う。
子どもたちに出会えたこと、お母さんにしてもらえたこと、ほんまに感謝やなぁ❤️