52歳で尊厳死協会に入った私。
「死に方」を決めたら、どう生きたいかが見えてきた
私は2年前、52歳で「日本尊厳死協会」に入りました。
こう書くと、少し驚かれるかもしれません。
「え、何かあったの?」
「病気なの?」
「もう死ぬ準備をしてるの?」
いえ、むしろ逆なんです。
どう死にたいかを少し考えてみたら、
「じゃあ私は、この先どう生きたいんだろう」
が、前よりはっきり見えてきたのです。
「尊厳死」という言葉は、最初はなんだか怖く感じていました。
でも知っていくうちに、それは“自分の最期に一言伝えておく権利”のようなものだとわかって、少し肩の力が抜けました。
たとえば、回復の見込みがなく、死期が迫っているときに、ただ命を引き延ばす医療は望まない。
でも、苦しみを和らげるための緩和ケアは受けたい。
最期まで、できるだけ自分らしく、穏やかに過ごしたい。
そういう意思を、元気なうちに書面で残しておく。
私はそこに、ちょっと救われるような安心を感じたんです。
実は
私は、かなりのビビり屋です(笑)。
痛いのは嫌。
苦しいのも嫌。
人に迷惑をかけるのも、できれば避けたい。
そして、これはきれいごとではない本音なのですが、
もし家族の、私に対して「もう疲れたなぁ…」という顔を少しでも見てしまったら、私はたぶん、かなりへこむタイプです。
要するに私は、家族に嫌われたくないんです。
もちろん、人は思い通りには死ねません。
どれだけ準備しても、その時にならないとわからないことはたくさんあります。
でも、だからこそ
元気なうちに一度、
「私はこうありたい」
という気持ちを残しておきたいと思いました。
最後の最後に、家族に人生のハンドルを全部握らせるのではなく、
自分のぶんは自分で少し握っておきたい。
尊厳死協会に入るという選択は、私にとってそんな小さな意思表示でした。
若い頃の私は、こんなこと考えもしなかったと思います。
でも50代になった今は違います。
親の老い。
自分の体力低下。
子どもの独立。
夫婦のこれから。
そして、自分の人生の残り時間。
そういうものが、急に現実味を帯びてきました。
人生前半は、目の前のことをこなすだけで精一杯。
子育て、家事、家族のこと、日々の段取り。
走りながら考え、考えながらまた走る。そんな毎日でした。
でも人生後半に入ると、ふと立ち止まる瞬間があります。
私はこの先、どう生きたいんだろう。
そして最期は、どうありたいんだろう。
その“人生のゴール”を少しだけ見つめてみたら、不思議なことに、今の暮らしの輪郭が前よりはっきりしてきたのです。
たとえば、
これまでみたいなコスパ重視の生活だけじゃなく、
「そんなアホな(笑)」みたいな無駄も、もっと楽しみたい。
小心者の私だからこそ、何かあったら同じ境遇の人たちと
「一緒にがんばろうね」
と励まし合える環境も大事にしたい。
そして何より、
いちばん若い“今”を、夫や家族、友人たちとの時間で、濃い果汁100%ジュースみたいに満たしていきたい。
そのために、つまらない見栄や小さなプライドは、少しずつ手放して、
自分が「気持ちいいなあ」と感じる、ささやかな幸せをちゃんと拾っていきたい。
50代だからこそできることがあるとしたら、
若い頃みたいに勢いだけで前へ進むのではなく、
これからの自分にとって本当に大切なものを、少しずつ
「選び直していく」ことなのかもしれません。
だから私にとって、死に方を考えることは、暗い終活ではありません。
むしろ、人生後半を少し軽やかに、そして自分らしく歩くための
“ゴール設定”。
いつか終わると知っているからこそ、今日のごはんを雑にしない。
いつか別れが来ると知っているからこそ、家族との会話を大事にする。
いつか動けなくなるかもしれないからこそ、今できる小さな楽しみを先延ばしにしない。
52歳で尊厳死協会に入った私は、死に向かう準備をしたのではなく、
改めて自分の人生のハンドルを少し握り直したのだと思っています。
怖がりな50代主婦の、ちょっと真面目なゴール設定の話でした。
そしてそのゴールを見つめたことで、
今日のごはんや、家族との会話や、なんでもない一日が、
前より少しだけ愛おしく見えるようになった今日この頃です。



昨年父の他界をきっかけに、どう生きていきたいかを考えるようになりました。
もう満足です。って思えるよう、日々大切に過ごしていけたらいいなと考えております~
人生観で生きる事だけを考えているけど、死生観で、死ぬこと前提に生きることを考えるので、生き方が変わってしますよね。
死を考えていきることを、自分も推奨しています。