私には、あまり嫉妬心がありません。
……なんて書くと、
「まあ、なんて穏やかな人なんでしょう」
と思われそうですが、
最近、その本当の理由に気づいています。
それは
私、
嫉妬するほどの”体力がない”
からかもしれない、と。
私は昔から体力がいつも最低ラインぎりぎり。
そして気持ちの方も、
かなり小心者。
心も体も、
大容量バッテリー搭載型ではないのです。
だからでしょうか。
誰かを羨ましがったり、
「あの人ばっかりいいなあ」と考え続けたり、
「どうして私はこうなんだろう」と悔しがったり。
そういうことに、
長時間パワーを使えないんです。
もちろん、
「いいなあ」
と思うことはあります。
めっちゃ、ありますあります(笑)。
たとえば同世代の友人が、
ふらっと旅行に出かけたり、
好きな趣味に寝る時間も惜しんで夢中になったり、
自由にあちらこちらへ出向いている姿を見ると、
正直、
「いいなあ」
と思います。
うちは家業があります。
年老いた義母との暮らしも、
いつもどこかで気にかけています。
表立って名前のつく仕事ではなくても、
家のこと、
家業のこと、
家族のこと。
細かな「名もなき仕事」が、
毎日の暮らしの中にいくつもあって。
だから、
「来週ちょっと行ってくるね!」
と軽やかに出かけられる人を見ると、
そりゃあ、羨ましい。
私だって、
「私ももっと自由だったらなあ」
と思うことがあります。
でも不思議なことに、
その気持ちが「長続き」しないのです。
途中で、
プチッ。
私の中の「何か」が、
勝手に省エネモードに切り替わる音が聞こえるんです。
そして
「じゃあ、今の暮らしの中で、
私にできる自由って何だろう」
と、そちらを探し始める。
変えられないものを眺め続けるより、
自分が動かせるところを探す。
どうやら私は、
そういう癖がついてしまっているようです。
友人や知人から、
ときどきこんなことを言われます。
「あんたって、
結構窮屈な環境にいるのに、
その割にはのびのび生きてるよねえ」
褒められているのか、
茶化されているのかわかりませんが(笑)。
ある人には、
「コンクリートの隙間から生えてる
タンポポみたい」
とも言われたことがあります。
うまいこと言うなぁ。
たしかに私は、
広い野原で、何の制約もなく
のびのびと咲いているタンポポではありません。
でも、
「ここは無理~」
「これは変えられない」
というコンクリートを
全部ひっぺがそうとはしない。
そんな体力、ありません(笑)。
その代わり、
「どっかに隙間ないかな」
とキョロキョロ探す。
そして小さな隙間を見つけたら、
そこから、
にょき。
光の方へ伸びていく…。
ひょっとすると、
これが私なりの省エネなのかもしれません。
先日、Kindleの中に、
「人間Wi-Fi、弱めでいいかも」
という一枚を作りました。
最近、その意味が少しわかってきたんです。
全部の電波に、敏感でいなくてもいい。
人との比較。
誰かへの嫉妬。
昔言われた嫌な言葉。
自分にはどうすることもできないこと。
そんなものまで、
24時間フル受信していたら、
私の小さな心のバッテリーは
すぐに赤ランプです。
だから、
そこはWi-Fi弱め。
でも反対に、
誰かの優しさや、
心が動く言葉や、
小さな幸せや、
「これ、好きだな」
と思うものには、
感度よくいたい。
全部に鈍くなりたいわけではありません。
感じる力は、
むしろ残しておきたい。
ただ、
何を受信するかは、
少し選んでもいい。
50代になると、
体力だけでなく、
心のエネルギーにも限りがあることが
なんとなくわかってきました。
だからこそ、
全部に反応しない。
全部と比べない。
全部を抱えない。
そして浮いた電池を、
自分が伸びたい方向へ使う。
それでいいのかもしれません。
私はたぶん、
嫉妬のない立派な人ではありません。
ただ、
嫉妬に使い続ける電池が
あまりないだけです。
心のアンテナは、そのままに。
接続先だけ、少し少なめに。
50代からは、
心にも
省エネモードがあっていい。
コンクリートの隙間でも、
タンポポは案外、
のびのび咲けるものです。



キャンディさん、「人間Wi-Fi、弱めでいいかも」の一枚、いい言葉ですね。
全部を切るんじゃなくて、誰かの優しさや好きなものには感度を残しておく、というところまで含めて好きです。
接続先だけ少なめに、は私もお守りにしたい言葉です🤍
家で楽しいこと見つけられるってとっても素敵なことだなと感じます。
私もお家が大好きですよ。猫もいるし。
89歳のお義母さま、きっとキャンディさんがいらして、いつもほっとされていると感じました。
とても優しくて温かい声でした。
素敵なメッセージをありがとうございます⭐️